2017-05

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自己破壊的民主主義

 友人が裁判員制度について書いているのを読んで思ったのだけど・・・。
 巷で話題の共謀罪とかもなんですが、最近うんざり度が高まっています。
 自由主義と民主主義を破壊していくだけの自己破壊ルーチン民主主義は、どうにかならんかね・・・。


 「俺の意見にも耳を傾けてくれよ」が民主主義において重要であるのは事実だ。そして、そう思う人が多いからこそ、「(偉そうにして国民から乖離したことしか言わないと思いこまれている)裁判」に「一般市民が参加する」って「良いことだ!」と諸手をあげて賛成をする人が結構いるわけ。
 でも、自分らに義務が伴うとか、諸々の弊害には考えが「及ばない」、そして、そういう「及ばない人」の集まりで裁判をするという怖さということにまで、やっぱり考えが及ばない。

 なんだろう、民主主義ってのは「俺の意見にも耳を傾けてくれよ」も大事なんだけど、誰もがそう思ってるからこそ「分をわきまえる」ってことも重要なのになぁ・・・・って、これはこれで傲慢な意見に聞こえるだろうし、「そうだ!、分をわきまえろ!」って、「児民」党が言論統制とかに使いそうという、また難しいところにぶつかるのだ・・・(-.-;)。
 そして、「権利」が守られなければいけないであろう人達に対して「分をわきまえろ」と叫びまくる分をわきまえない人達という構図・・・。


 ちなみに、以前、裁判員制度について書いた(クリック)のですが、その時、「もう一つの不幸については、後日」と書いたまま、投げっぱなしスープレックスだったのですが、もう一つの不幸とは友人が、ここで書いている内容(クリック)に近いことです。
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トリビア「証人喚問と日当」 皆の誤解

 トリビアでやっていた。証人喚問で呼ばれた証人には日当や交通費が出る、と。

 そして、怒っている人、多数。


 うむ、どうも勘違いされている(国会議員すら勘違いしている気がする)。

 国会の証人喚問は、公開リンチのための制度ではない。

 そして、悪いことをした人を裁く場でもない。
 簡単に言ってしまえば、裁くのは裁判所の仕事であり、国会がやってはいけないことなのだ(三権分立)。


 悪いことをしたから喚問されたわけではない。この勘違いが、かなり広範囲に存在しているっぽい。悪いことをしたから呼び出されるのは、裁判所であって、国会には情報提供に行くのだ。


 証人喚問は、何のためにあるかと言うと、おおざっぱに言えば、立法のためなのだ。
 国会には「国政調査」をする権利があって、それは、より良い国政をするため、法律や制度に反映させるための資料集めをするために国会に認められている権利である。そして、その国政調査権の一環として証人喚問をやっているのである。

 なので、事件が起きたら、今後、同様の事件が起きないために、どうすればいいのかを検討するために証人を呼んでいるのである。彼らを裁くために責任追及するためにやっているのではないのだ(国会議員すら、あそこを悪人を叩くための場だと思っているっぽいが(苦笑))。


 まあ、実際は、悪党(と認定された人)を袋だたきにする場として利用されている(間違った使われ方をしている)わけですが、証人は、悪人だけでなく、普通に情報をもたらしてくれる人もなり得るわけです。

 理論上は、情報提供者として、あなたが、呼ばれることもありうるわけです。

 そして、証人として、あなたが呼ばれたら、「仕事をなげうってでも行かなければいけない」のです。数日間拘束ですよ。

 日当と交通費、もらうの当然じゃないですか?。

 悪いことをしたことについての罰則は、裁判で別途裁かれるべき問題です。テレビや週刊誌や国会などのリンチの場ではなくね(-.-;)。

みっともない嫉妬

 「うまくいってるヤツの分を削れ」、という発想が、どうしても好きになれない。とても、醜く意地汚いと感じる。自分らも金を儲けようというパイ全体を大きくしようという発想の方が重要だろう。奪うことよりも。

 公務員に天下り先があってもいいじゃないか。天下り先では、働く日数が少ない(にも関わらず高給)という状況があったっていいじゃないか。若い頃には一生懸命働いたのだろうよ。その前には、君らよりも勉強したのだろうよ。

 「成功の一つの形」・「選択のバリエーション」を増やしておくことが、社会の向上心育成に繋がるのに・・・・。そこに至るまでに苦労が無かったと思っているのだろうか?。ホリエモン叩きの時も思ったけど、「悪いことをして」ならともかく、「楽をして」うまくいったヤツを許せないという今の風潮は、とても気持ち悪い(しかもそれほど「楽」なんかしてないだろうに)。

 公務員という選択をした人達が賢かっただけなのに、公務員だけが安定していて卑怯だというやっかみは、社会的な害悪でしかない。宝くじに当たったヤツがズルイとか言っているのに近い。
 公務員減らすよりも、むしろ彼らにやってもらいたい皆の役に立つ仕事をちゃんと増やせよ。やるべきことは、実はたくさんあるぞ。

 まあ、個人的には、今後採用する公務員については、公務員は待遇を良くして、その代わり、仕事は激務、違法なことをすれば超厳罰、当然厳格なチェック機関も用意するという形にして、地位も責任も高い存在にするべきなんだと思う。競争社会の中で、一つの安定職として保持すべきなんじゃないか・・・。公務員叩きばっかりやってたって、公務員の質が下がって、国民の生活なんか悪くなるだけだぞ。

成果と態度と

 冬季五輪も終わりました。
 今回、報道とかで五輪で日本が不調だった時に「選手村の宿舎の部屋が散らかってる」だとか、そういうことを、成果が出なかったことと結びつける声が一部で聞こえたりした。
 それは、どうなんだ?。
 生活が、部屋がきちっとしていれば、実績もちゃんと出るはずだみたいなことを言いたいみたいだけど、そんなことないだろうが。
 もちろん、生活態度と練習態度が密接に繋がる人だって世の中にはいるだろう。性格がきっちりしていて、完璧主義で、それが練習にも現われるという人。
 でも、逆に生活態度と練習とが全く分離することだって同様にあるのだ。今回、その部屋の使い方が悪かった選手達が金メダルでもとったら、おそらく、こんなことは言われないだろう。また、部屋が散らかっていたことを指摘されても「オンとオフの切り替えがあるから、競技や練習での素晴らしい集中力を生んでいるのでしょう」「現代っコらしい精神が、本番でも通常通りの演技を生むのでしょう」みたいなことを言われるのだ。そんな因果関係は、個人ごと、個性ごとに違うのだ。


 そもそもオリンピックに選ばれるぐらいの選手なのだ。その辺の一般人よりも熱心に練習しているのは当然だろう。そういう連中だって部屋が汚いこともあるし、部屋が綺麗なヤツもいるだろう。そこから分かるのは、生活態度とは、むしろ無関係だってことだろ。部屋が綺麗なお前はオリンピックに出られるのか?、と。
 で、部屋が綺麗に使えなかった連中が成果を出せなかったことと、部屋が散らかっていたこととを結びつける人の分析力って何?。


 「スポーツマンとして、成績とは関係なく、生活態度もちゃんとしていなければいけない」「部屋が散らかっていたことで日本人として恥ずかしい」とか主張する方が、僕は賛同はしないけど、その人の言ってることは「その人にとっては正しい」ということは認められる(その人が恥ずかしいと思っていることは事実なんだろうから)。
 もしくは「部屋は綺麗に使って欲しいですね」と個人的な「嗜好」「趣味」を告白するのも構わないさ。
 自分の気に入らない人格態度の人間を、まあ、気に入らないって非難するのは、まあ、しょうがないとは思うが、それを意味不明の因果関係で成績と結びつけて責任を負わせるのはどうかと思う。

 別に選手がどんな態度であろうと構わないと言っているわけではない。ただ「結果」「実績」を道徳的に分析する人がいて、それを「その通りだ」と溜飲が下がった思いで受け取る人達が多くいるとしたら、それは分析力の低さの露呈なわけで、日本のスポーツも経済も強くはならないだろうし、政治も教育も良くならないだろうなぁ、と。そんなことを思った次第。

禁止!禁止!禁止!

 自分の権利は声高に主張するくせに、人の権利はやたらと制限したがって、義務を課したがり、気に入らないモノは何でも禁止禁止禁止と言うことを言いたがる人は、大抵の場合に自◎党支持者だったり、自◎党関係者だったりするので、びっくりする(納得する)。

 似たようなことは、昔、ここで書いたので暇な人は読んでみてください。

今週の売上を見て。「音楽は大事ですか?」

 EXILEが初週で25.4万枚・・・・。分からない(-.-;)。誰が買ってるんだろう。前作よりも売上が飛躍的に上昇している理由が分からない。

 とりあえず、CD業界は、去年・一昨年よりも、今年はCDが売れる年だった。詳細はヒマがあれば別の機会に書くが(今までの傾向からすれば、これはたぶん書かないという意味だが)、初動売上や、総売上を比較してみると売り上げは増えているのだ。
 とは言え、その全体の売上増を上回って、今回のEXILEは売れすぎな気がする。

 そして、宇多田が、4.9万枚しか売れなかった。いや、あのマニアックな曲調では、さもありなん。
 彼女のファンであった中心世代は、若く成長も早い。既に思春期を終え、CDを聴く機会も減っているだろう。ライブで固定ファンがいたわけでもないのに、活動にブランクがあれば、こうなってしまうのもしょうがないのかもしれない。前述の通り、今回の曲調がポピュラーになりにくいものであることも原因であろう。


 あれだけジャニーズパワーを導入してテレビで宣伝しながらも、近藤真彦は0.9万枚の売上か。もちろん、これでも売れた方だと思う。「テレビの力を借りても、こんなもん」という辺り、妥当であろう。売れすぎてくれなくて良かった。

 やっぱり、売れるというのは大変なことだな。

 時折、売れているアーティストに対して、「タイアップつけたり、テレビでがんがん流せば売れるんだろ?」などと、全く分かってないことを言い出す人がいるが、そんな簡単なことで売れるのなら苦労は無い(いや、「簡単なこと」とは言え、それをやるには金とコネが必要で大変なことであることは事実だが)。

 テレビで流しまくっても売れない時は売れないのだよ(ついでに言えば、テレビでたくさん聴いたから売れてると錯覚する人は、自分中心評価の仕方が小学生みたいで、勘違いが痛々しい)。


 長くヒットチャートを見てきて思うのは、「音楽が大事だ」という人は、少ないな、ということだ。いや、本人としては大事なのかもしれないけど、そうでもないなぁ、と思わされる。
 自分の思い入れのあるアーティストに対して夢中になっている人も、大抵は2~3年夢中になれば長い方だ。そして、そのアーティストを選んだ理由は、探しに探したからではなく、偶然の遭遇だ。他のアーティストも色々聴いた上で選んでいるというわけでもない。

 別に、それを非難しているのではない。それでいいのだと思う。
 ただ、若い人に多いけど、自分が好きなアーティストを好きなままでいることは構わないが、そのアーティストの特別性を強調する(「◎×○▲よりも歌がうまいグループは存在しない!」「□△◎の音楽って、他の誰も真似できないよね」とか)と、結構痛いことが多いのだということは知っておいた方がいい。
 大抵は他にも似た特徴を持つ(得てして上回っている)アーティストもいたりするものだ。
 君が「勉強不足」なだけである。
 勉強不足を責める気はない。音楽を好きになることに勉強しなければいけない理由はない。盲目に愛することもいい。盲目に愛してはいけない理由もないし、盲目の愛は幸せだ。
 だが、勉強不足のせいで恥をかくことがあると覚えておいた方がいいし、勉強不足で人(他のアーティストや、そのファン)を攻撃するようなことがあってはいけないのだということだ。

 って、一体、この話は、どこに行くのか分からなくなった。
 音楽の話に限らない。自分が「大切だ」と思うもの全般にあてはまる話だ、ということだけ言って終わる。収拾がつかなくなったから(-.-;)。

麻布十番の祭とか諸々思うこと

20050820164807
大混雑

追記:
 携帯から画像をblogにアップしてみた。
 もの凄い混雑であった。あの人達はたぶん地面からメキメキと生えてきたに違いない。猫耳の女のコが売り子をしている屋台があった。一人可愛かった&好みの体型だったので、じーっと見てしまった。でも、そこで何かを買ったわけではないので、猫耳は売上に貢献していないと思う。「世界は猫耳で出来ている」という格言は嘘だったのか(そんな格言はありません)

 部活動の大会が遠方であったのだが、部のblogに速報が上がってくるので時折眺めていた。とりあえず興味があることの場合、些細なことであっても色々と報告されているのは結構楽しいものだ。
 blogで、整理されていない情報の乱発がなされる場合、興味が無い場合には全く面白くないのだよなぁ。困った。分かっているが故に、まぜたまは更新できなくなる(「はれたま」は自分が無理矢理書くためだけのサイトだと割り切ることにしている・・・のだが、これもすぐに閲覧者を意識してしまうのが難しい(-.-;))。


 明日はアルフィーの野外ライブである。シングルも発売されているので、閲覧者の方々もレンタルしてみてください。
 ついでに、モー娘新曲のカラオケでのリクエストとかよろしく(笑)。

大学について思うこと、メモ

 アカデミズムは誰のためのモノか、というような話を読んで。
 大学は、学歴付与期間・研究機関という、全く分離したものとしてしか認識していない僕です。大学の研究者達の書いたものは興味深く享受しますが、大学での「授業・教育」については、良い想い出が少ないです。
 もともと、大学の教員は教育者としての情熱を抱いて教員になるわけではないので、しょうがないんでしょうけどね。
 人文社会系の場合には、社会・人文についての(アカデミズムに所属しない人間にとっても)役に立つ「視点」を(面白く・わかりやすく)提供するという役割もあるはずなのですが、その役割は大学での授業に関しては全く果たせていないことが多いですよね(「研究書→新書→一般誌」という経由で果たせているわけですが)。その辺りは、もったいないなぁ、と思います。

 とは言え、「面白さ」を提供したら、そこにはまって、大学院に迂闊にも進んでしまったりして、でも、職は無い、ということで「だまされた」となる人もいるようで(大学院政策の失敗)。
 大学院には進みませんでしたが、(きっかけとしてはM台氏の授業に)うっかり乗せられて、そっち系の読書にはまった自分を振り返っても、迂闊に面白さを伝えることは危険かも、とは思った(笑)。

 とは言え、大学は、もう少し学生にとっても役に立つ存在であればいいのに、と思う(それなりの授業料をとってるわけなのだから)。
 自分の出身である法学部でも(経済学部は、ちょっと分からないけど)法律自体を題材にして「一般的な」ことをやることはできるのです。
 法学部なんて、法原理とか解釈の争いとか理論的立場をやるよりも、「行列のできる法律相談所」みたいな「こんなことすると、こういう裁判になっちゃうんだぜ」という事例をバンバン呈示してあげるとかも可能なはずなんです(法学部教授なんかは、それは法「学」ではないと言いそうですけど(-.-;))。
 下位大学に限らず上位の大学でも法学部を出ても一般のサラリーマンになる人の方が多い。でも、現状、法学部で学んだ法律論って、絶対に役立たない。会社に入って必要な法知識だって 結構あるのに、そういうのをちゃんと教えてあげていないのは やっぱり疑問だなぁ、と。

爆殺と大義名分

 どんな大義名分があろうとも、一般民衆を殺していいはずがない。

 たとえ、それがアルカイーダであろうと、米軍であろうと。

貧困

 貧しい僕を救って下さい!

 ということで?、リンクしておきます(クリック)。

 新聞記事はこちら(クリック)

サイトの方針をどうするべきか

 久々にアクセス解析を見ると検索で来る人が結構いるわけで。
 色々な検索で来るんだなぁ。

 自分が巡回したりお気に入りにいれているサイトを考えてみると、検索で見つけつつ、大抵は方針が分かりやすいのだよな。
 マンガ情報系だ、とか、ハロモニネタサイトだ、とか、社会言論系とか。


 で、僕のサイトも、最初は「社会的なこと」を軽く分かりやすく書くというスタンスからスタートして、途中で大きく方向転換。
 塾講師のグダグダな女子高校生ラブ日記という分かりやすいものにしようとして、それにハロモニネタをまぶすというスタイルになっていた・・・しようとしていた、はずだ。
 が、しかし、「社会的なこと」の方も捨てられず、両立みたいな感じに・・・
 塾講師を辞めてからは、「日記」も「~の日記」ではなく、「taroの日記」になってしまっているので、これでは固定客は付きにくい気がする(その割に、固定で見に来てくれる人もいるみたいで嬉しい限りだが)。


 ここで呟き続けて思うのは、
「社会・政治的なこと」
「思想的なこと(社会・政治的なことと被る)」
「読んだ本について」

「日常のこと」
「ハロモニ的ネタ」

「音楽のチャートとか個別アーティストや音楽番組について」
「映画・ドラマ・漫画などの物語の摂取について」

などを書きたいらしい。時折、ラーメンのことやルービックキューブについても書きたいらしい。

 ・・・・駄目だろ、これは(苦笑)。

 ハロモニ系サイトとしても中途半端、社会言論系としても微妙。テキスト・ネタサイトと言うにも練ってない。
 マンガ情報や音楽情報系をやるには、もっとコンスタントで幅広い情報提供が必要になるし、もっと練った感想・批評をするべきだ。かと言って、特定アーティストだけ、特定のマンガだけを分析応援するだけのblogをやるには、情熱が薄い。
 方針を固定すると、そのネタで書き続ける持続力が足りないらしい(-.-;)。
 一個一個のテーマごとにblogを立ち上げてやろうかと思ったこともあるが、無理。ありえない。ひっくりかえる。神経が衰弱する。つーか、生活において更新しかできない(笑)。


 そして、結局「taroの興味があること」というサイトになってしまっている・・・・。
 どうにかしようと思いつつ、ひたすら思うことを書くのは「はれたま」にして、「まぜたま」は「社会言論系」「ネタ系」の二本立てで行こうか・・・・と思案中。
 うわ、その方針を立てただけで、「まぜたま」の更新が滞りそうってのが分かる(-.-;)。まあいいや。終わり。オチがつかなくても、何一つ面白いことも新しいことも言えて無くても無理矢理アップしてしまうのが「はれたま」の方針です。必殺技、「たれながし」。

垂れ流しの毎日を経て思う

 こっちのblogを見ると、パラノイックに更新ばかり続けていて、端から見ると「・・・・病気?」とか心配になりそうだけれども、更新意欲で更新してるわけではなく、ただ、独り言・頭に浮かんだことを、そのままアップしているだけなので更新時間も大したことないし安心してください。
 僕はキーボードに向かっても向かわなくても、こんな感じに頭の中で いつも喋っているので(それはそれで心配なのかもしれないが・・・いや、結構、そういう人いるよね?)。


 で、毎日、無駄に「垂れ流し」ていて思ったけど、独り言を「文字」にするだけでも、頭の中だけの独り言とは違う感じがある。
 何か、外に出したせいか、具象化されるせいか、「対話」感がある。その結果、また色々と考えるきっかけになっている。

 うむ、昔、書くことの効用の一つに、更新のために日常を見ることで、日常が新鮮になるみたいなことを書いたことがあったのだが、それに近い感じかなぁ。今度、もうちょっと突っ込んで考えて、書いてみたい。
 今日は寝よう(規則正しい生活)。

スローフードとか、資本主義への「抵抗」とか

 スピリチュアリティとかの話の時に思ったのだけど、スローフードとかって、西洋では、もっと「意義深い」ものっぽいらしい(?)。
 西洋って、おおざっぱな括りはどうなのよって感じだけど、例えば、資本主義への対抗言論が共産主義だけではなくて、自然主義とかキリスト教とかも存在しているってことなのかしら?。
 日本では、資本主義への抵抗って言うと、共産主義以外には想定されていないのではないか、というイメージがあって、スローフードとかって、どうやっても資本主義に回収されちゃっている。

 「これからはスローフードの時代ですよ!」という食品産業の宣伝に乗って、消費していく。

 結局、日本のスローフードって、ファストフード的資本主義への対抗というよりは、「大量量産主義」から「ニーズに合わせた生産」へと産業界がシフトした事実の、食品業界における現れに過ぎないわけじゃない?(って、こっちのblogの閲覧者がかなり少ない状況で誰に尋ねているのやら)。
 おもいっきり資本主義なんだよなぁ。スピリチュアリティにしたって、人格改造セミナーにしたって、英会話教室とかマッサージとかと同列な、金儲けと消費者のニーズが一致したというだけのものに過ぎない。
 カルスタとかって別に共産主義じゃないし、「権力への批判」ということまでは日本でも理解されやすいけど、資本主義への批判とは成り得ていない(資本主義の暴力性についての異議申し立てってのも、結局は、よりよい資本主義を目指しましょうという感じにしか聞こえないし)。
 いや、別に資本主義に対抗するものになんてならなくていい、と僕は思ってるのだ。ただ、西洋との違いがあるなら、それは何のせいなのだろうというのが、素朴に疑問。

 いや、西洋でも、スローフードなんてものは、資本主義・消費主義の一環に過ぎない?。
 それとも、もう少し(現実には資本主義に取り込まれているにしても)、「抵抗」のニュアンスが含まれているのかしら?。
 だとしたら、日本では、全く、そういう風には理解されていないと思うのだけど、その違いは、何故なんだろう?・・・。

 あと、全然関係無いけど、ジジェクとかラカンの言う「現実界」ってのが分からない。「象徴界」と「想像界」は、なんとなく分かったけど、現実界が一番分からない。一般的に言う「現実」と、彼らの言う「現実界」は全く違うものを言ってるのだということは分かったのだけど・・・・。
 それと「たまごっち」をジジェクが考察したって言うやつの、内容のエッセンス・ダイジェストが知りたい・・・。

 ・・・・寝る。

個人と孤独と

 法学部卒の僕が何故か時折参加している社会学関係の勉強会にて。
 発表内容を、かなり乱暴に要約すると、「下部構造の変化によって孤独化がもたらされた。そこにおいて、スピリチュアリティや宗教が孤独化解消に役立つことは可能か?」というようなもの。
 収容や富の蓄積、世界の縮小、それと並行する哲学界の「個人の主観を重視する傾向」、それらの結果、価値観など全ては「個人」へと投げ返された、と。そして、その帰結としての「孤立」、そして「孤独」。また、孤独化は、テロルや全体主義の温床にもなるという。

 個人化へと、孤独化へと向かう原因は、様々なのだろうけれども、その流れ自体は理解できる。

 が、そこからの脱出(?)にスピリチュアリティが役立つか、と言われても難しい。何故なら、スピリチュアリティというものが日本では非常に胡散臭いものとなっていること、そして、欧米などで、どんなものなのかというのが分からないからだ。
 どうやら、会合に出席していたCSの有名人上野俊哉氏によると、日本で感じられるようないかがわしさのようなものは無いとのこと。

 そこからの脱却に、宗教・スピリチュアリティがどう関わるかには、僕自身は興味が薄いため、思考はそこで止まり、むしろ、違う方向に思考が向かう。
 思ったのは、孤独化に対する実感はあるのだけど、実は「孤独」というもの自体が、僕らの時代特有の視点・視線に過ぎないのではないか、ということ。
 まず、過去において、個人というものが意識されなかった時代に、「孤独」という概念は分かりにくかったであろう。そして、今、国・宗教・地域が解体されて最小単位は「個人」となっているが、これから先、個人すら最小単位ではなくなるのではなかろうか。
 
 東浩紀氏や、カーニバル化する社会の中で言われる「データベース化」とか斉藤環氏の言う「モジュール化」でもいいのだけど、個人が、情報として、部分部分として存在するかのような感覚が当然となってくるのであれば、最小単位は個人ですらなくなっていき、個人の各々一部は、どこかでネットワークに繋がっていたり、というのは、「孤独」を希薄化していく気がする。
 また、(少し観点がずれるが)心理学化する社会の中で、心理学が普及していくことで、症状が軽症化し、その代わり、軽症者が増えるという事態が起きたと書いている。それと同じような感じで「孤独」という症候も軽症化していくのではないか。「孤独?、あー、孤独かもね」というライトな孤独?・・・・。
 ・・・・まとまらない。

誰と会話している?

 勉強やビデオ鑑賞も一段落。そろそろ寝るか。
 意味のある会話って、何だろう・・・と、ふと思う。こうやって、ただ脳に浮かぶことを垂れ流してみると、これ自体は公害じゃなかろうか、と。
 ただ、読みたくない人は読まないでいいというだけマシと思うようにする。そして、会話の場合でも、誰に向かって投げているのか分からない会話というのがある。いや、むしろ、会話って、そういうもの?。
 僕は、こうやって書いていて思うのだが、とりあえず、何かを話す相手が欲しいと思っているのだという気がする。かと言って、頭の中に思いつくままにしゃべっていても相手にとって苦痛だろうという意識から、とてもじゃないが、そんな会話はできない(会話というより、壊れたラジオだ)。

 だから、こうやって書いてみる。
 たぶん、僕は誰も僕の話に付き合ってくれないだろうから、僕と会話するためにこうやって書いているのだろう。
 いや、これだけ読むと、誰からも相手をされないデンジャラスな人のイヤに悲劇的・悲観的な文章みたいだが、別に、世界からのひきこもりをしているのではなくて、ある意味での一般論を書いているのつもりなので、「そんなことないよ!」みたいな変な励ましは要りません(笑)。
 でも、おそらく、実は会話って、誰としゃべっていても自分と会話をしているのかもしれない・・・なんてことを書いていて思ったところで、今度、これをもとに話をふくらましてみようか。

 そして、お題としてメールが いくつか来ていて、一つは「個人情報の扱いについて」というマジメなもの。もう一つは「モーニング娘を何故好きなのか」という趣旨のものが(これは二人から来た)。それと「晴れた日と雨の日、どっちが好きか」という、僕にそれを尋ねてどうするのかという大喜利みたいなものが・・・・。
 どのお題も なかなか難しいため難渋している。だから寝ようと思う(苦笑)。おやすみなさい。

とりあえずつぶやいてみる

とりあえず、呟いてみる場所があるといいかもと思って、ここにもblogを作ってみた。
「とりあえず」のつもりで、本当に何でもないことを書いているうちに、ふと更新用に思いついたりするから、こうやって書いてるのだけど・・・・
こういう別サイトを作ってみて、「本サイト」「メモ用」とか分けても、結局、いつの間にか、その区別が曖昧になって、更新頻度の高いメモ用の方が、いつの間にか本サイトになっていくというのが、僕のおきまりのパターンになってきているので、気を付けたいところだ。

なんで、サイトが「たまご」で繋がっているのかは、よく知らない。たまごが食材として、かなり好きなのは事実だが、その「生」と「ゆで」と、また色々な調理法による変幻っぷりが、僕の中で「文章」とかのイメージに合っているのかも、と勝手にこじつけてみた。僕の無意識の構造に卵が忍び込んでいるのだ。おそらく、それが対象aであろう・・・と、意味の分からない言葉で誤魔化してみる。
というカテキョへの移動中の戯れ言でした。

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 本サイト(まぜたま)では書かないような、頻繁な「メモ更新」「ニュースぴっくあっぷ」&読書メモ(「物語」と「一般」に分類)のblog。
 カテゴリ別で「ニュース」を見ると、なかなか読み応えがあります(僕の文章がということではなく、集まっている情報がということです)。

 「はれたま」の日常更新は読ませることを前提とせず、思いつくまま書いているので御注意ください(言い訳)。そもそも、「まぜたま」は読ませることが前提になっているのか?と言われると微妙なんだけど、更新にかけている「時間」は、かなり違います(苦笑)。

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